単行本「宇宙の渚で生きるということ」の中の
栗田昌裕へのインタビュー紹介

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著書のタイトル

「いのちの文明への旅立ち
 宇宙の渚(なぎさ)で生きるということ」

 省エネルギーセンター出版部編。取材・構成/丸岡鷹次。
 海象社。2008年12月16日発行。
 
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 引用部分。p72−86より。

 「祈りをこめて、まっすぐに未来への道を歩め  栗田昌裕」


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 栗田昌裕 Kurita, Masahiro
 ●1951年愛知県生まれ。医学・薬学博士。東京大学理学部卒業。東京大学大学院修士課程修了(数学専攻)、東京大学医学部卒業。現在、群馬パース大学教授。東京大学医学部附属病院医師(臨床登録医)。SRS研究所長を兼任。姫島の「アサギマダラを守る会」顧問。座禅、ヨーガ、気功、東洋医学など多彩な能力開発を実践的に体得。文部大臣認可・生涯学習開発財団認定の唯一の速読マスター。能力開発関連の著作が多く、100冊以上の著書がある。

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●栗田昌裕

   一本の樹木や一頭のアサギマダラに地球の生態系を
 観、一体の仏像に数千年にわたる人類の精神活動の営
 みを感受する。意識は限りない可能性を秘めている。
  意識の技術を追究し、心というミクロコスモスを旅する
 ”ガイド”を自任する栗田昌裕さん。独自のSRS能力開
 発法のゴールは、地球の自然の多様性を自らの内面に
 構築する”地球の能力開発”にある。


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サブタイトル
「祈りをこめて、まっすぐに未来への道を歩め」
 
           
 ■意識とは何か、どんな意識があり得るのか

…………栗田先生は常に地球の生命史というスケールのなかで時代を認識することを説かれています。二十一世紀を迎えた私たちはいま、人類史上においてどのような局面にあるとお考えですか。

人間が意識として捉えていたものが、従来とは違った方向に捉え直しをされていく時代ではないかと予感しています。従来は耳から聞いて言葉で反応する“音韻言語”を主体にしてコミュニケーションが成り立ち、それが人間の意識というものをつくっていました。文化というものも、音韻言語を中心に人間の歴史のなかで育まれ、それに視覚的な言語(文字)が加わって形成されてきたわけです。そして、教育を施すことで人々が共通の土台で物事を考え、都市を構築し、自然に対処する、ということが過去何世紀もなされてきたのです。
二十一世紀は、そのような営みが再考されて、意識とは何だろうか、また、今後どんな意識があり得るのだろうか、そういうことを人々が考え始める世紀になるだろうと私は予感しています。
そのきっかけは、自然環境に関する情報が増えたことと関係すると思います。地球上の生きものについて断片的にしか知らなかった時代には、人間の頭のなかにある自然に対するイメージは非常に単純なものでしたが、次第に自然は簡単にコントロールできないということがわかってきました。地球の自然の多様性に対処するためには、自分自身が変わらなければいけないのです。
非常に複雑で、不可解で、予測ができない、そんな生態系と同じようなレベルのシステムを内面につくる必要性がますます認識されるのが二十一世紀前半、そして、今世紀の後半に差しかかって、それが意識の技術、精神の技術として広がりをみせていく時代になると位置づけています。

 ■外界と内面のあいだに共鳴を引き起こす

…………栗田先生が提唱される能力開発法は、意識の技術、精神の技術を磨く方法なのでしょうか。

私の提唱する“SRS能力開発法”は、まさに二十一世紀に必要とされる意識の技術、精神の技術の先駆けをめざすものです。そのポイントを一言でいうと、音韻言語を操ってコミュニケーションを交わす言語意識に依存しない“スーパーリーディングシステム”(SRS)という情報の読み方をまず理解し、身につけ、活用していくことです。その特徴は、入力、処理、出力という情報処理の三つのプロセスを、従来とは違ったかたちに構築していくことにあります。
 従来、人間は目から入力する情報を音韻言語の回路を使って処理していました。ところが、人間以外のあらゆる生命体はそうした“音の回路”を持っていません。人間はもう一度、生命体の原点に戻って、地球上の何千万種という生きものたちが音韻言語など知らなくても、きちんと情報を処理し、多様に生き延びているという事実を知り、そこから学び直す時代なのです。するとそこに新しい無数の活路が拓かれ、人間の意識も従来とは違ったかたちで自身の思念や願望を捉えたり、想像力や発想力をふくらませたりすることが可能になるでしょう。

…………もうひとつのキーワードとされている “共鳴”とは、どのような概念でしょうか。

共鳴とは、二つのシステムがお互いに言語を超えて連携して動く現象です。たとえば核磁気共鳴のような微小レベルの共鳴や、音叉のようなより大きなレベルの共鳴がよく知られています。もっと漠然とした科学では捉えられていない共鳴現象もあるかもしれません。このような共鳴という概念は、複数のシステムが相互に影響を与えあう方式の全体と捉えてもよいと思います。
 人間もまた地球に生まれ育ち、社会生活を営むなかで、環境との間にさまざまな共鳴を体験しているといえます。このことはこれまで言語化されていなかったため、ほとんど気づかれなかったわけです。しかし、私は共鳴というものが実は人生を動かし、社会を動かしてきたのだと捉えています。共鳴力に目覚めると、私たちが自然環境から驚くべき影響を受けてきた経緯がわかってくると思います。したがって、外界の自然とそれに対峙している内面の意識とのあいだに共鳴を引き起こさなくては、私たちは自然環境に対処することができないわけです。

…………『共鳴力の研究』(PHP研究所)には、「一歳以前から植物の発する雰囲気の場のなかで育ったことが、私の原点になっている」と書かれていますね。

私は愛知県の知多半島で生まれたのですが、とても平和な環境のなかで幼少期を過ごしました。母が教師をしていたため、昼間は祖母と過ごす時間が多かったのですが、祖母はじっとしていることがきらいで、生家の寺の周囲や離れたところにある畑や水田でよく仕事をしていたものです。物心つく前から、祖母に連れられて山林の木々に接したり、ウサギの餌になるタンポポを採ったりしたことが思い出されます。あたかも「植物の意識の海」のなかで育ったかのような小さい頃の記憶は、いつしか言語化されることのないかたちで私のなかに組み込まれていったのでしょう。私の原点は、そのような植物の意識空間にあったことは間違いないようなのです。

 ■生きものの「実験」の歴史に学ぶ

 しかし、私にはその対極にある数学の世界に入っていく時代がありました。つまり、自然の多様性とはまったく対極にあった抽象の世界を突き詰めていたのです。しかし大学院時代に、そこまで行ってしまうと、人間が本来あるべき姿とは違うのではないかと思い直すようになり、もう一度、多様な共鳴が起きていた世界に還るために、いわば“中間地点”に戻ってきたのです。

…………中間地点というのは、医学の道に入ったということですか。

そのような心境になったことが医学への転身につながったわけですが、人間の能力について考えてきたなかで、私はスーパーリーディングシステムが成立するということをすでに見いだしていました。そして、一九八五年に大怪我をして療養生活を余儀なくされた交通事故を契機として、これまで体得したことを体系化し、人々に普及していく成熟の時期を迎えたわけです。その入り口とした速読法は、わかりやすいかたちで意識変革を体験できる点が現代的でした。
SRS能力開発法を何に活かすべきかというと、やはり地球の自然とその多様性を知ってもらうということ、すなわち“地球の能力開発”をめざすことが私の本来の趣旨なのです。

………… “地球の能力開発”というお考えには、エネルギー問題を考える示唆がありますね。

地球のことをほとんど知らなかった私たちは、二十世紀後半になってようやく生物多様性の大切さに気づき、それを守ろうという意識も生まれました。したがって、地球の自然が織りなす生態系の意義を知ることと、エネルギーというものに対する考え方が変わることは表裏一体の問題であり、私の言葉では、“共鳴”しているのです。エネルギーという概念はこれまで量的な発想で捉えられてきました。そのため、ここ何世紀かの間に大量のエネルギーを自由に使えるような生活が豊かであり、力だという価値観が生まれたのです。ところが、三十数億年をかけた生命戦略の歴史を顧みると、「量」の拡大に走ったものは自然との間に破綻をきたし、必ず滅んでいることがわかります。ようやく人間は、自らを生み育てた地球そのものの有限性に気づいたのです。
一方、地球上ではどんな歴史が繰り広げられていたかというと、生きものたちが多様な遺伝子を生み出すことで、エネルギーを最適に利用する“生態系”というシステムをつくってきました。これは恐るべきことです。無数の生きものたちが地球上のエネルギーの恩恵にあずかろうとした「実験」の歴史のなかに、環境と生きものとが活路を見いだす雛形があるのです。
地球の自然と共鳴して生き延びてきた生きものたちの生き方に学ぶためには、私たちの側に豊かな情報処理能力が必要です。意識のベースを成す身体に働きかけ、さらに内面に多様性を操作できるキャパシティを持てば、それに応じて多様なリアクションが可能になることでしょう。

 ■一本の樹木に「地球」を観る

…………「風を見る」という独自の視覚体験について書かれたものを拝見しますと、内面に多様性を操作できるキャパシティを備えた意識の状態を示唆しているような気がしますが。

「風を見る」というのは、たとえば、樹木を見るときに、視野が小さいと葉や枝しか見えませんが、少し広い目で見ると一本全体の木の動きがわかります。さらに視野を広げてみると10本、100本の木が見えてきます。すると、その100本を動かしているものが見えてくる。そのような体験です。多くの情報を同時にモニターできると、そこに地球の動きが見えてくるのです。
このように、「三十数億年の歴史を支えているこの地球って、いいものなんだ!」という感性こそ、私たちが未来の方向性を考えるときに何より大事なのです。私たちが本来の自然に回帰することで、この社会は持続可能になるのでしょう。自然って、すごいな、いいな、面白いな、この三つがきちんと健全に発動するような状態で多くの人が生きていれば、意識が広がり、自然の多様性も見えてくるし、新しいアイデアもわいてくることでしょう。ところが、自然はつまらないと思い込み、逆の方向に走れば、量的な価値を追求するようになってしまう。それは想像力の貧困であり、感性の枯渇です。大いなる地球を愛ずる感性を養い育てることこそ、この社会が「量」の追求に暴走するような動きを食い止める力になるのではないでしょうか。
樹木を見るときに、私が思うのはこういうことです。与えられた光は有限である。水も、栄養も有限である。そのなかでどういう姿形をとれば生存のために最適なのか、すべての樹木が工夫しているのです。木々の枝や葉は、このことを私たちに教えてくれています。
そこには「空間の最適性」「時間の最適性」、そして「物質の最適性」があります。枝をどう広げたら太陽の光を受け取れるか、根をどう伸ばしたら水が吸収できるかは「空間の最適性」、どの季節に枝をつけて、どの季節に花をつけたらいいのかが「時間の最適性」。そして、葉をどれくらいつけるか、幹の太さをどれくらいにするかというのが「物質の最適性」です。
こうして樹木の一本一本が時・物・空の最適性を読み、実現しているという事実があるのです。そんな木々がこの地球上には無数に存在し、広大な森をつくっています。皆さんも、一本の樹木に地球を観るような感性で身近な木々や街路樹に接して、想像力をふくらませてみてください。
               (二〇〇四年二月二十五日、東京都文京区・SRS研究所にて)


 ■旅をする蝶“アサギマダラ”の不思議

…………栗田先生はアサギマダラの研究者としても一躍有名になられていますね。毎年二万頭のマーキング(移動調査)をするほどの精力的な研究を開始されたきっかけはどのようなことでしたか。

昆虫にはもともと子どもの頃から興味があったのですが、わが子に自然に触れさせようと、沖縄を中心に昆虫を採集して回ろうとしたことで、昔の興味が呼び覚まされたわけです。八〇年代半ばのことでしたが、底知れない生命力を備えたマダラチョウの不思議さに改めて心惹かれたのですね。その頃はまだ、この蝶が渡りをしているというのは知られていないことでした。
ところが、八五年に交通事故に遭って入院生活をしているとき、あるビジョンを見たのです。夢や幻のようなものと思ってくれてもいいです。それは、私に近づいてきた蝶が沖縄まで飛んでいくというものでした。しかも、その翅には文字が書かれていたのです。その後、しばらくは多忙で何もできませんでしたが、一九九〇年にアメリカに行ったときに、すでに渡りをすることが知られているオオカバマダラを観察する機会を得ました。それから一三年を経た二〇〇三年以降、少し自由に動ける時間ができたことから、本格的にアサギマダラの研究を開始しました。その年には統計的手法を用いて各地域の個体数を調べるため、数千頭をマーキングしています。

…………まさに未来のご自身の姿を夢でご覧になったわけですね。
かなり明確なビジョンでしたから、こういう流れになっていたのかもしれません。続く二〇〇四年には、年初にもうひとつのビジョンを見たのを機に、三つの目標を掲げました。アサギマダラの周年経過を調べる、本州で自分が放蝶した個体を奄美大島で再捕獲する、そして、本州から小笠原諸島にも彼らが移動する可能性があるかどうかを解き明かそうというものです。
それから毎月奄美に通い続けた結果、奄美大島には確実に年間を通してアサギマダラが見られ、とくに秋に多いことがわかりました。また、長野県の白馬山麓、愛知県の三ヶ根山で自分が放した個体をそれぞれ喜界島と奄美大島で再捕獲することができました。小笠原諸島への渡りについては、二〇〇六年になって福島県北塩原村で放蝶した個体が小笠原の父島で捕獲されています。さらに二〇〇五年以降は、アサギマダラの旅のモデルをつくるために、福島を皮切りに、群馬、長野、愛知、鹿児島、沖縄と順々に南下しながら、それぞれの場所でデータを取りました。

…………その足跡は、毎年日本で最も多くマーキングをする研究者として知られていますね。

おかげさまで、各地で講演に招かれたり、イベント化されたりするうちにある種の「町おこし」となって全国の昆虫好きの人の間に交流の輪を広げることにもなりました。子どもたちが九州で放した蝶を長野県のどこかで誰かが捕まえたりするというのは、夢のある話ですよね。
同時に、普段何気なく見ている小さな蝶が千キロ、二千キロにも及ぶ途方もない旅をしていることを知ると、自然のなかで何が起きているかを学ぶチャンスになります。私自身は、自然界の変動とアサギマダラの生態とのかかわりを直観の目で読み解こうとしているわけです。

…………フィールドワークを通して、日本列島の自然の変化をどのようにお感じになりますか。

激しい変化を感じています。とくに地球温暖化の影響はアサギマダラの渡りのパターンを変えてしまうほど大きく、奄美大島や喜界島では個体数が明らかに減っています。温暖化はまず植物の変化をもたらしますが、昆虫はそれに敏感に反応し、自分の居場所を探していくのでしょう。昆虫に強い興味がある人たちは、誰しも温暖化の影響を目の当たりにしているはずですよ。


 ■「時空の大局」を捉える人間を育てる

…………地球温暖化問題が主要な議題となった洞爺湖サミットをどのようにご覧になりましたか。

前年の暮れから、私は洞爺湖サミットに期待をかけていたのですが、結果的には政治的な枠組
みのなかで、温暖化対策を国際舞台に乗せようとする努力がほとんど見られませんでした。どの国も展望を持てないまま、手探りをしているような状態に戻ってしまったかのようです。 
一方、サミットが終わった直後の七月十七日に、アル・ゴア元米国副大統領はワシントンDCで演説を行い、「一〇年後にアメリカの電力をすべて再生可能エネルギーで賄う」と語りました。そのあまりに大胆な主張に対して、「不可能だ」という評価がなされています。しかし私は、政治的なリーダーがわかりやすい展望を示し、「夢を語る」というのは大事なことだと思うのです。たとえ実現不可能と思える目標であっても、数量的な裏づけをもってリーダーが強力なビジョンを示すことによって、人々の意識変革を促し、目標達成への活路を拓くことになるためです。

…………アル・ゴア氏は『不都合な真実』を通して、温暖化問題に対する危機意識を世界的に高めましたが、その一方で、「地球温暖化は自然現象である」と論じる識者も少なくないようですが。

 地球温暖化の科学に関しては、バラバラな情報が散見されて、読めば読むほどわからなくなっているようです。知識が増えるにつれて大局が見えなくなるというのが現代の矛盾です。あまりに情報が多くなっているために、皆が物事を自分で考える基準を失っているのでしょう。この混乱を整理できる枠組みをつくるのはメディアの責任でもあるとともに、教育の問題です。

…………栗田先生は、「教育の目的は人間を変えることだ」という]教育論に言及されたことがありましたが、「人間が変わる」というのはどういうことでしょうか。

それは情報処理の枠組みが変わるということです。私たち人間の最大の特徴は、おそらく「時空意識」がほかの動物よりも著しく発達していることでしょう。私たちは地球という枠を捉え、さらに宇宙という物理的な空間の枠組みを捉えることができる。そして、ビックバンによる宇宙の開闢以来、一三七億年という悠久の時間の枠組みすらも意識することができるのです。
教育の目標は、「時空の大局」を捉えられるような人間を育成するということでしょう。かつてアフリカの地で誕生したといわれる人類集団が世界中に拡散していくプロセスで必要とされたのは「時空意識」でした。現代においても人類が地球に生き続けるために真に必要なのは何だろうかと、時空を広げ、国益というローカルな思惑を超えて問い直す知性が求められています。
 つまり、歴史をきちんと教えなければいけないということです。少なくとも二千年から三千年という時間の座標軸を早い段階で与えておかないと、今世紀の終わりに地球の温度が何度上がる、海面が何メートル上昇するといったところで意味を成しません。一人ひとりが確かな「時空意識」を持たなければ、たくさんの情報が交錯したまま、空虚に流されてしまうことでしょう。自分のなかに価値の物差しがあれば、権威ある識者の意見に翻弄されてしまうことはないのです。
 教育の場でもうひとつ重要なのは、知識のバックボーンを与えるということです。私たちは、日々の生活のなかでさまざまな体験を得ることはできますが、知識は体験から抽出したものです。
たとえば、テレビなどで「島が沈みそうだ」とか「氷河が融けている」という映像を見せるのは、いろいろな体験を伝えるには便利なのですが、映像体験をたくさん増やしても自分の知識にはなりません。体験と知識を混同したまま、さまざまな情報が流れているのはもどかしいことですね。「この知識はこれくらい確度が高く、こういう反論がある」というように、教育者が知識のバックボーンを与えなければ、自分でものを考えることにつながらないのです。

 ■仏像にみる人類数千年の精神の営み

…………最近では、アサギマダラの渡りの研究とともに、仏像のご研究も始められているそうですが、これは仏像の知識を学びながら、数千年のスケールで人類の歴史を顧みることになりそうですね。

仏像の歴史をたどっていくと、そこにはヒンズー教以前の民衆の信仰が根づいていることや、ギリシア彫刻の影響が垣間見えることがわかります。一匹のアサギマダラの背後に地球の全生態系があるのと同様に、一体の仏像の背後には数千年にわたる人類の精神活動の営みが透けて見えるのです。「衆生」という仏教のことばは「生きとし生けるもの」という意味で、人間だけを指すものではありません。つまり、仏教では地球上に棲む生きもの全体のつながりを対象としていて、なかでも地蔵菩薩は大地の恵みを表し、虚空蔵菩薩は宇宙の恵みを表しているといえます。
古来の東洋的世界観に通底するものが、お寺や路傍で見られる仏像に秘められているのは驚くべきことですね。そんな仏像の姿を注意深く観察することで、私たちは潜在意識の重要な側面である「祈る」という未来への願望を高め、自分自身を“ある状態”に持っていくことができるのです。いや、仏像でなくても、キリスト像の前でも構わないと思います。何かの前に立って自分のなかの潜在能力をひとつの目標に注ぎ込むことができれば、その人はまっすぐ自分の道を歩いていけるでしょう。そして、そのような人たちが共鳴を起こし、共感の輪が広がれば、未来へのビジョンがひとつにまとまり、この社会は確実にそちらの方向に進んでいくことでしょう。
(二〇〇八年七月二十五日、東京都文京区・SRS研究所にて)

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